waltzingmathildaのブログ

自分のための思考のゴミ箱。社不はこんなこと考えながら生きてます。最近は好きなモノについて感じたこと書くスペースになってます。

最近の話

 

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ゆるい話。

 

最近、俺自身のIT化というかキャッシュレス化が進んでいる。

 

俺は今年の夏前まで現金至上主義者だった。

クレジットカードなんてもちろん持ってなくてすべて現金で支払っていた。持っていたのは銀行のキャッシュカードと交通系ICくらいである。

理由は特になく、強いて言えば今までずっと現金で支払えていて特に不便はなかったから。ある程度お金に余裕があったからかもしれないが

 

どこでも使える卍現金最強卍。

電子マネーが1000円分あるよりいま現金1000円持っていることの方が価値が高い。

そんなふうに思っていた。

 

あとは、自分の社会的地位の低さは16の頃から理解しているつもりなので、「そもそもクレカとか審査通らなくね」と思っていた、というのもある。

 

金本位制に戻れ!と冗談で言っていたくらいだ。

 

 

最近クレカを持ち始め、一般カードは届いた時には限度額30万円だったが今では150万円になり、スマホQUICPayも嗜んでいる。

 

使って1ヶ月、ゴールドカードも取得できた。一般カード以上の枠があるが、それよりも中卒社不なのに社会的な信用を少し得られたのかなと思えたのが素直に嬉しかった。

 

 

 

 

贈り物

少し前の俺はこのクレカというものに関して、毎月給料が変わらない人間が使うのなら、金の前借り、要するにただの借金(あるいはキャッシング)と変わらなくねと思っていた。

買掛の文化から来ているもので時期によって収入が変わる自営業者のためのものだと思っていたのだ。

 

 

こんなおカタい考えを持っていた俺がキャッシュレス化に踏切ったキッカケは、誕生日プレゼントに妹からLINE pay 8000円分を貰ったことにある。

 

バーコード決済なんて最新のモン俺が使えるわけねぇだろ!とオジサン感溢れることを考えた。しかし、せっかく貰ったので彼女に教わりつつ使ってみると、なるほど、すっげぇ楽。

 

使い終わる頃には自分の考えの古さを思い知らされた。

頭のいい妹はこれがわかっていてLINE payをくれたのかも知れない。良いプレゼントである。

 

 

これを使いこなせれば、「小銭が多いとお財布の型が変わるから」と処分ついでに募金するという偽善をしなくていい。

 

そういうやり方は自分のことが嫌いになる。

思いがけないところで自分が自分でいられるということを発見した瞬間だった。

 

 

実家のネット恐怖症

リアルな話、携帯やスマホを両親に買ってもらったことがない。高1の正月(辞める直前)、神社の沿道の屋台の手伝いをしてそのお金で買ったのが最初である。それまでは、中学時代祖父に「音楽プレーヤーが欲しい」と半ば騙して買ってもらったiPod touchWALKMANで凌いでいた(WiFi環境下でだがLINE等は使える)。

 

また、ウチの父親は極度に昭和的な考えの持ち主でパソコンやインターネットを使うのもいちいち許可が必要だった。(自分は仕事上使うので、パソコンが出来ないからという訳では無い)

iPod touchを手に入れネットショッピングをしていたことがバレた時にはブチ切れられたこともある。

 

母も含め家族はおろか、父親宛にもネットショッピングの荷物が届くのは1年に2〜3回というレベルだった。

 

そうしていたのにも両親なりの考えがあったのだろうというのが今ではわかる。が、当時はスマホを買って貰えなかった事など理不尽極まりないと感じていた。皆が持っているものを1人だけ持っていない、それによってコミュニケーションが1人だけとりづらいというのは、当時の俺にとっては自分だけがネクタイや上履きを持ってないというのに等しかった。幸い、だからハブられるということもなく、短かったが良い高校生活であった。今でも休日に集まる友人ができたのは本当に幸せである。

 

 

教育方針の善し悪しは俺にはわからないしどうだっていいことだ。

ただ、だからというか、俺は現代の若者にしてはパソコンやスマホなんかにめっぽう弱い。なんならあまり興味が無い。

 

それが現代で生きる上で致命的だということに気付くのは皮肉なことに高校を辞めてからだった。クレカでのインターネットショッピングなんかを含めると、もしかしたら気づいたのはついこないだまである。マジかよ…

 

 

 

新しいのは楽しい

スマホは使えればいい。そう思っていた。

LINEなんかで連絡出来ればそれでいい。Instagramなんてアカウントはあるが全然動かしていない。失敗した詐欺アカみたいになっている

いまでも思うが、好きな漫画の主人公の言葉を借りれば、「たかが通信手段の機械に人の絆の強さなんか計られたくない」。そんな気持ちもある。

 

 

先日iPhone13シリーズが発売されたのが記憶に新しい。

同棲する彼女は親御さんに13 Proを買ってもらっていた。いままで使っていたXs使わないなら欲しいなと思っていたがどうやら下取りに出すか売りに出すようだ。

この文章を書いている今も、そうやって俺のものになったiPhone7で書いている。

 

クレカとApple payが使えるというだけで、できることの選択肢がこんなに増えるのかと知ってしまったいま。

 

…いい加減変えるかなぁ。

相変わらず最新型を持つことに一切興味がないので、13の発売に伴い値下げされた12でもいいかなと思ったが、最近の俺のアップデートの流れを考えるとやはり新しいものがいいのかなどと考えている。

とりあえず新型買ってみよう。iPhoneはぶっちゃけ要らないが、今の俺にはそれが必要な気がするのだ。

 

少し前にInstagramの別アカを作った。

持ち物は投稿しない、なんとなくビビッときたスナップショットなんかを投稿するアカウント。

彼女が買ったOLYMPUS penの最新機種があるのでそれで散歩がてら撮っている。

 

 

クレカ、電子決済、新型iPhoneInstagram、写真、このブログも。

どれも俺には新しいものだ。(レベルが低すぎる!)

 

新しいことを始めると楽しい。

それが浅はかだとわかっていても。

まずはヘタなりに、社不なりにゆるゆるやってみようと思う。

 

 

新陳代謝が止まればやがて死に至り、腐ってしまう。

それは身体だけではなく、思考や価値観にも言えることなのだなと思い知った。